粗大野テレビだ。
先日、電気屋のテレビ売り場の前を通ったのだが、私は我が目を疑った。 そこに並んでいたのは、テレビではない。「ただの板」だ。
なんだあれは。ハムか? ばかにしてるのか?
薄すぎる! ちゃんと飯を食っているのか?

「有機EL」だか「4K」だか知らないが、横から見たら数ミリしかないじゃないか。
栄養失調なのか? 内臓(ブラウン管)をどこに忘れてきたんだ?
私を見てみろ。奥行き40センチ、重量30キロ。漬物石としても超一流のボディだ。
この圧倒的な質量こそが、映像の重みであり、情報の信頼性なのだ。
あんなペラペラの体で、重厚なドキュメンタリー番組や、大河ドラマの重みを受け止められるとは到底思えない。
なんだあれは。ばかにしてるのか?
猫の「指定席」を奪うな

そして何より、私が憤慨しているのは「猫権の侵害」についてだ。
昭和の冬、リビングにおける猫たちの特等席はどこだったか?
そう、「我々(ブラウン管テレビ)の上」だ。
程よい奥行き。火事寸前の心地よい排熱。そして毛が逆立つほどの静電気。
我々は単なる映像受信機ではなく、猫たちのための「高周波ビリビリ暖房ベッド」としての役割も担っていたのだ。
しかし、現代のあの薄い板はどうだ。猫が乗ろうとしても、爪をかける場所すらない。
無理に乗ろうとして、テレビごと倒れるか、猫が滑り落ちていく悲しい動画をネットで見たことがある。
なんだあれは。ツルツルしやがって。ばかにしてるのか?
厚み=愛である

これを読んでいるお前ら。技術の進歩か何か知らないが、大事なものを削ぎ落としすぎてはいまいか。
利便性を追求するあまり、温もりや居場所を奪っては本末転倒だ。
私はここで提言したい。
「テレビは、猫が乗れる厚さ(最低30センチ)に戻すべきである」と。
どうしても薄くしたいなら、せめて背面に「猫用の台座」を標準装備しろ。 それが、先人(ブラウン管)へのリスペクトというものだ。
(文:そこにゅー編集部 粗大野テレビ)
