筆者:パセリ淳之介
私は今、身の危険を感じている。
もしかすると、この記事を書いたことで、私は“消される”かもしれない。
なぜなら私は、とんでもない真実にたどり着いてしまった。
結論から言おう。
──おにぎりは、ピラミッドだったのだ。
信じられないかもしれない。でも、これは妄想ではない。お願いだ。もしこれを読んでいるなら、覚悟を決めてほしい。
あなたもまた、歴史の証人になるかもしれないのだから。
これは、私が真実にたどり着くために書きなぐったレポートである。興奮のあまり、ところどころ読みにくい部分があるかもしれないが、どうか許してほしい。
きっかけは、SNSに投稿された一言だった。
「今日のおにぎり、なんか…ピラミッドじゃね?」
そこからすべてが始まった──。
その角度、偶然ですか?──3日間おにぎりを握って検証してみた結果

普段なら、あんな投稿を見ても笑い飛ばして終わっていただろう。
──だが今回は違った。
あの投稿を見てからというもの、ピラミッドとおにぎりが、頭の中でぴったりと重なって離れないのだ。
なぜ、私はこれほどまでに惹きつけられたのか。それはたぶん、私が「パセリ」だからだ。
常に皿の隅、メインディッシュの引き立て役として生きてきた私にはわかる。おにぎりが放つ、あの圧倒的な「センター感」。
「なぜ奴は、あんなに堂々としているんだ?」
その嫉妬にも似た違和感が、私を突き動かした。「似てる」という直感。これは錯覚か、それとも……真実か?
確かめるしかない。まずは“見た目”から攻めてみよう。そう、傾斜角だ。
“おにぎり”と“ピラミッド”──その傾きが一致していたとしたら?
それは、もう「偶然」なんかじゃ済まされない。真実は、数字の中に眠っている。
傾斜角は“だいたい同じ”という通説、でも本当に?

ギザのピラミッドの傾斜角は、およそ51.5度。そして世間では、おにぎりの傾斜角も「だいたいそれくらい」と言われている。
──でも、本当にそうだろうか?
ほんの数度の違いが、真実を大きく左右することだってある。ましてや、それがピラミッドとおにぎりの関係性を左右するとなれば、見過ごすわけにはいかない。
──自らの手で“傾斜角を測ってみるしかない。
その先に何があるかなんてわからない。だが、ジャーナリストとして(そして元パセリとして)測らずにはいられなかった。
ひたすら握ってわかった“驚異の一致率”

思い立ったら早かった。気づけば私は、米を炊き、海苔を切り、3日間ひたすらおにぎりを握り続けていた。
目的はただひとつ。
「本当におにぎりとピラミッドの傾斜角は一致するのか?」
その疑問を自らの手で確かめるためである。
眠い目をこすりながら、私は握った。握って、測った。握って、また測った。途中からは、メンタルがおかしくなり、脳より先に手が動いていた。
……これを“調査”だと思い込めてる間は、私はまだ、記者でいられるのかもしれない。
検証のために握ったおにぎりの総数は80個。
しかし、そのうち傾斜角の測定が可能だったのは、わずか36個に過ぎなかった。
崩壊した個体。無意識に壁に叩きつけた8個。途中からなぜかハート型になった14個。そして、猫に持ち去られた2個。すべて記録から除外している。
理性より先に手が動き出すころには、おにぎりの形も、私の思考も崩れはじめていた。
だが──それでも、残った36個のうち、35個がピラミッドとほぼ同じ傾斜角(51〜52度)に収まっていたのだ。この検証結果は、ただの偶然とは思えない。80個に及ぶ狂気の先に、私は確信した。
おにぎりは──ピラミッドである。
……いや、落ち着け。まだ決めつけるには早い。もう少し、別の視点からの検証が必要だ。
おにぎりとピラミッド、中身に込められた意味を追う

ピラミッドとおにぎりの傾斜角が一致することは、すでに自らの手で検証済みだ。だが、両者の共通点はそれだけなのだろうか?
そう自問しながら、私はおにぎりとピラミッドの画像を交互に見つめ続けた。そして、ある一点に引っかかった。
……中だ。両方とも、中に“何か”が入っている。
おにぎりには、梅干しや鮭、昆布などの具材が。ピラミッドには、王のミイラが眠っている。
これは単なる偶然とは思えない。
もしかすると人類は、本能的に三角形の中に何かを隠したくなる生き物なのかもしれない。
いや──今、必要なのは人間の思考や形といった漠然とした物に視野を広げずに視点を絞ることだ。注目すべきは1点。その“中身”である。
──「ミイラ」と「具材」。
一見するとかけ離れたこの2つに、何か関係性があるのか分からない。それでも直感が告げている。
そこに、まだ誰もたどり着いていない真実が眠っている──と。
おにぎりとミイラ、その不気味な一致

私はまず、「ミイラ」について調べることにした。
正直、これまでミイラについて深く考えたことなどない。王族や貴族の死後に施される儀式──そんな漠然としたイメージしかなかったのだ。
だからこそ、調べる価値がある。
文献や資料を漁り、読み進めていくうちに、私は“ミイラの製造工程”という項目にたどり着いた。
- 遺体から不要物(内臓など)を取り除く
- ナトロンと呼ばれる塩で全身の水分を飛ばす
- 布で丁寧に包む
- 中に“心臓”など重要なものを入れる
──ん?
私は思わず、自分の手元にあったメモ帳を開いた。そこには、ここ数日間で握ったおにぎりの製造工程が記されていた。
- 米を洗い、ぬかなどの不要物を取り除く
- 塩をふり、熱と圧力で水分を飛ばしながら握る
- 海苔で包む
- 中に梅干しや鮭などの具材を入れる
──いや、まさか。
私は手を震わせながら、2つの工程を並べて見比べた。

……完全に一致していた。
ミイラもおにぎりも、「不要物の除去」、「乾燥」、「包む」、「中に何かを入れる」この4工程で出来上がっているのだ。
「おにぎり=ピラミッド」の検証をしていたはずが、気がつけば「おにぎり=ミイラ」になっていた。私は一瞬でパニックになった。
おにぎりはミイラなのか?

混乱のあまり、「おにぎり」「ピラミッド」「ミイラ」の3語を何度も紙に書き連ね、部屋は紙でうめつくされた。
もしかすると、我々人類は気づかぬうちにミイラを握って食していたのではないか。
落ち着け──。まだ決めつけるには早い。
もう一つの「中身」──具材──そこに突破口があるかもしれない。
具材の真実──そして私は知ってしまった

具材。
梅干し、昆布、おかか、ツナマヨ──言うまでもなく、それはおにぎりを美味しくするための“味のバリエーション”である。
これは、さすがに私も知っている。何も得られる情報は無いのかと思考を巡らせるうち、ある一つの問いにたどり着いた。
「ミイラにおける“中身”とはなんだ?」
──王の心臓だ。
古代エジプトでは、心臓は“魂の依代”とされていた。死後の審判ではそれが通行証となり、何よりも大切に扱われた。つまり、ミイラの中には“魂”が入っていたということになる。
その瞬間、私はぞわりと背筋が凍るような感覚を覚えた。
……ならば、おにぎりの中にある“具材”とはいったいなんなのか?
ただの味のバリエーション?違う。違うぞ。人はおにぎりを握るとき、必ず“誰かの顔”を思い浮かべている。
「今日は暑いから、さっぱりした梅干しにしよう」
「ツナマヨなら絶対外さない。間違いない」
そう、具材は“気持ち”で選ばれる。
- ・梅干し──強い防腐効果と疲労回復
- 「旅先でも元気でいてね」という願い
- ・鮭──たんぱく質と脂質で体力回復
- 「食べて、力をつけて」という母の願い
- ・ツナマヨ──万人に愛される国民的具材
- 「君は人気者」という根拠なき励まし
- ・唐揚げ──おにぎり界のパワー系具材
- 「気合い入れろ!」という謎のエール
具材とは、栄養という物理的価値を超えて、「あなたのことを思って選んだ」という想いの塊である。
それは祈りであり、願いであり、気遣いだ。
──つまり、具材とは“魂”なのだ。
私は動揺しながら、頭を整理するため、メモ帳にこう書きなぐった。

その結果、一つの答えにたどり着いた。
- ミイラの中にある心臓=魂
- おにぎりの中にある具材=魂
- 心臓=具材=魂
つまり、ミイラとおにぎりの中にあるのは、どちらも“魂”である。さらに、両者は魂を包み込むという構造、そしてその製造工程までもが一致している。
これはもう、偶然などではない。
おにぎり=ミイラだ。──人類は、知らぬ間にミイラを握り、食していたのだ。
真実を知った苦悩と焦燥

私は知りすぎたのだ──そう確信しながら、布団にくるまり、1日半ほど天井を見つめていた。
部屋の中には、握りかけのおにぎりが転がっている。
ツナマヨ。唐揚げ。昆布。そして、ミイラ。いや違う、おにぎりだ。いや違う。やはりミイラだ。
私はもう、まともにおにぎりを直視できなくなっていた。食べれば食べるほど、古代エジプトの王たちが胃袋に沈んでいく気がする。
「おにぎりって……何?」
そんな哲学的な問いが、炊飯器の湯気とともに部屋中に立ちのぼっていた。
SNSでは、相変わらず“ピラミッド=おにぎり説”が笑い話として流れていた。しかし、私の中ではおにぎりは完全にミイラになってしまったのだ。
“51.5度”と“暗黒物質”──おにぎり=ピラミッドへの回帰

この宇宙に“ミイラ型炭水化物”が日常的に存在しているという事実。それを今まで気づかずに食べ続けていたという現実。
この事実に思考は暗黒に沈み、私の中の常識は死にかけていた。だが、そんな私の脳裏に──ふいに、ひとつの数字がよぎった。
「51.5度」
ピラミッドの傾斜角だ。
反射的に私は跳ね起きた。心臓が跳ね、感情が背骨をつたって脳に届いた。
……おにぎりの角度も、それくらいだった。
いや、待て。おにぎりの中には具材がある。魂がある。ピラミッドの中にはミイラがある。魂がある。
角度が一致しているだけじゃない。魂を納める構造としても、完全に一致している。
私は震える手で、またメモ帳を開いた。

おにぎり=ミイラという狂気の発見に飲み込まれかけていた私を、傾斜角の一致という事実が、ぎりぎりのところで正気へと引き戻した。
確かに、おにぎりとミイラは製造工程まで一致していた。だが、ミイラとおにぎりは見た目も形も違う。
──そもそも視点が間違っていたのかもしれない。
ピラミッドから見るとミイラは魂(中身)であり、ピラミッドの中にミイラという魂があるのだ。
つまり、ピラミッドは外側、ミイラが中身。おにぎりは外側、具材が中身。
やはり──おにぎり=ピラミッドなのだ。
海苔が証明する「宇宙」
そして、最後のピースが埋まった。
それは「海苔」である。
なぜ、おにぎりは黒い海苔で包まれているのか? ただの装飾か? いや、そんな浅はかな理由ではない。
古代ピラミッドは、オリオン座などの星の並びと密接に関係して建造されたと言われている。
ならば、ピラミッドを模したおにぎりを包む「黒」は何を意味するのか。
──「宇宙」だ。
海苔という名の「ダークマター(暗黒物質)」で、白米という名の「星々」を包み込み、中心に魂(具材)を宿す。
おにぎりとは、手のひらサイズの宇宙(ピラミッド)そのものだったのだ。
我々はコンビニで150円を払い、宇宙を購入し、それを咀嚼し、体内に取り込んでいる。
筆者コメント
:そして残る謎・・・
おにぎり=ピラミッド。これは、もはや否定できない。
しかし、ひとつだけ、あまりにも奇妙な一致がある。それが「おにぎりとミイラの製造工程」だ。
これは、本当にただの偶然なのだろうか?
まるでおにぎりは、ミイラづくりの儀式を再現しているかのようだ。この問いの答えは、今の私にはまだわからない。だが、この謎を放置していいとは思えない。
ここには、もっと深い秘密が隠されているのかもしれない。私は、引き続きこの謎の解明を進めていく所存である。
そして私は、きっかけとなったSNSの投稿に震える指を抑えながら返信をした。
「おにぎりはピラミッドである」と。
この投稿が世界の真実として一人でも多くの目にふれることを願う。
そしてその人が、手に取るおにぎりを見つめながら、ふとこう思ってくれたらいい。
「……これ、ピラミッドじゃね?」と。
(追記:実験に使った80個のおにぎりは、編集部の冷凍庫を占拠している。「早くなんとかしろ」と編集長(毛玉)から無言の圧を感じるが、私は怖くて冷凍庫を開けられない。あそこには、80個の宇宙が眠っているのだから……)
(文:そこにゅー編集部 パセリ淳之介)
